レッドブルの保有するサッカーチームは主に4つある。RBライプツィヒ、レッドブル・ザルツブルク、ニューヨーク・レッドブルズ、そしてレッドブル・ブラガンチーノ。
RBブラガンチーノはその中で最も新しくできたチームだ。
それでも1部に昇格して2年目のクラブは、今季ブラジル全国選手権で一時首位につけ、現在も上位に食らいついている。
しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
レッドブルの方針転換、1部昇格、突然日本へ行く監督、リーグを代表する顔の登場…。山あり谷ありの歴史を振り返っていきたい。
レッドブルの“乗り換え”
RBブラガンチーノの歴史を語る上で、言及しなければならないクラブがある。それがレッドブル・ブラジルだ。
レッドブル・グループは2007年、ブラジルでのフットボール活動を始めるにあたってレッドブル・ブラジルを設立。サンパウロ州選手権からスタートした。
そこから昇格を続け、2015年にブラジル全国選手権のセリエD(実質4部)まで辿り着いた。その間にアンドレ・ラマーリョ(現PSV)やベルナルド(現RBザルツブルク)のような選手も育ち、RBグループのネットワークを介して欧州へ進出していった。
しかし、誤算だったのはそこから。レッドブル・ブラジルはセリエDから上に中々昇格できなかったのだ。
4部リーグにずっと居座っていれば、当然放映権料による収入はわずか。レッドブル的に「おいしく」ない。
そこでレッドブルは方針転換をする。2部のセリエBを戦っていたCAブラガンチーノを合弁し、RBブラガンチーノを設立。レッドブル・ブラジルの監督だったザーゴを始め、選手、フロント陣をRBブラガンチーノに移動させて「レッドブル化」を推し進めた。それに伴い、レッドブル・ブラジルは実質的にRBブラガンチーノのセカンドチームとなった。
1部昇格するも…
このレッドブルの“乗り換え”は成功する。ブラガンチーノはその年にセリエBを優勝。念願だったブラジル全国選手権1部のセリエA昇格を果たした。
だが、そのオフシーズンに新たな嵐が訪れる。監督だったザーゴがクラブを去り、鹿島アントラーズの指揮官に就任したのだ。
突然新監督探しを強いられたRBブラガンチーノは、これを期にクラブの「欧州化」を図るため、ポルトガル人指揮官の招聘を目指す。(詳しくは下記事から)
カルロス・カルヴァリャル(現ブラガ監督)らの名前は挙がったが、時間が足らな過ぎた。結局RBブラガンチーノは、ブラジル国内のフェリペ・コンセイソンを引き抜き。ただそれまでの動きからして、その決定が妥協案であることは明らかだった。
不安な体制での1部デビューは、案の定低空飛行となる。コンセイソンの下で勝ち点を積めず、チームは降格圏に。指揮官は1シーズンも持たずに解任された。
難しい状況でバトンを渡されたのが、現監督のマウリシオ・バルビエリだった。彼は2014年から2016年までレッドブル・ブラジルの監督を務めており、「レッドブルを知る男」によってクラブの命運は託された。
バルビエリはその期待に応える。降格圏にあったチームを再生させ、最終的には10位まで順位を回復。南米のELに当たる大会、コパ・スダメリカーナの出場権まで獲得した。
リーグの顔となった10番
初めての1部挑戦はゴタゴタもあったが、ポジティブな要素もあった。
それがチームの10番であるクラウジーニョの大活躍だ。クラウジーニョはリーグ戦35試合で18ゴール6アシストを記録。チームが10位に終わったにも関わらずリーグMVP、ベストMF賞、得点王、啓示(最大の発見)賞と、個人賞を総なめしたのだった。
国内リーグの顔となったクラウジーニョは、先日まで行われていた東京五輪で主力として金メダルを獲得。ゼニトへの移籍合意も発表され、欧州での活躍も期待される。
上昇気流へ
RBブラガンチーノの今季は、上述の通り順調にシーズンを進めている。ブラジル全国選手権では上位をキープし、コパ・スダメリカーナでも決勝トーナメントに進出した。
今後のクラブの目標としては、コパ・リベルタドーレスの出場権獲得を目指したい。そしてネクスト・クラウジーニョとなる人材を輩出し続け、南米での存在感を高めたいところだ。
クラウジーニョはRBライプツィヒで見たいなと思っていたので、そこはちょっと残念でした。